アルフレッド・ヒッチコックについて
サー・アルフレッド・ジョウゼフ・ヒッチコック(Sir Alfred Joseph Hitchcock, KBE, 1899年8月13日-1980年4月29日)は、イギリスの映画監督・映画プロデューサー。1939年からはおもにアメリカで活躍した。スリラー映画で成功し、製作・脚本・編集・美術も手がけた。サスペンスの神様とも称される。
1940年にヒッチコックはアメリカでの初作品『レベッカ』を制作する。同作の企画はイギリスで行われ、原作もイギリスの作家ダブネ・デュ・モウリアによるものであった。作品はジョーン・フォンティン演じるヒロインが後妻として入ったイギリスの屋敷での出来事を描くサスペンスで、1940年のアカデミー最優秀作品賞を受賞した。
ヒッチコックのユーモアはアメリカでの作品群でも発揮され、作風はサスペンスをトレードマークとしていた。セルズニックは長年金銭問題に悩まされており、より大きな映画会社にしばしばヒッチコックを貸し出した。
ヒッチコックの1940年代の作品は非常に多様であった。それはロマンティック・コメディの『スミス夫妻』(1941年)から暗いサスペンスの『疑惑の影』(1943年)まで多種に及ぶ。
1950年代は、ヒッチコックの黄金時代と言える。さまざまな円熟期の作品が量産された。
『鳥』(1963年)までは精彩を放っていたが、『マー二ー』(1964年)以降は凡庸な作品が目立つようになった。これは『マー二ー』の撮影中にティッピー・ヘドレンに関係を迫ったものの断られたことが原因ではないかといわれている。あるいは、『ハリーの災難』以来バーナード・ハーマンが音楽を担当してきたが、『引き裂かれたカーテン』の音楽を巡って対立し、結果ハーマンをこの作品から降板させ、以後は袂を分かっていたことも影響しているのではないかともいわれる。高齢による衰えとの説もあるが、イギリスを舞台に撮影した最後から2番目の作品『フレンジー』(1972年)ではキレのあるサスペンス演出を見せ、ヒッチコック復活を印象付けた。
1976年の『ファミリー・プロット』が彼の遺作となった。バーバラ・ハリス演じるインチキ霊媒師と、ブルース・ダーン演じる彼女の恋人であるタクシードライバーが、犯罪に巻き込まれるという内容であった。
監督業への意欲は一向に衰えず、記者会見で「引退はいつですか?」と聞かれると「上映終了後」と答えたと言う。逆にそうした創作意欲の強さが、弱って行く一方の自分の肉体に対して自暴自棄な気持ちを持たせ、付き添いの看護師の目を盗んでコニャックをガブ飲みした事もあったという。
ヒッチコックは1980年1月3日にエリザベス2世よりナイトの称号を授けられたが、ちょうどその4ヶ月後に腎不全を起こし、ロサンゼルスで死去した。遺体は火葬に付された。